年前に母校のホームカミングデー(大規模な同窓会である)でスピーチをする機会を得た。自分がどんなキャリアを積んできたかということ話した。その際に同じように依頼を受けた先輩方の一人に、貿易会社に勤めながら俳人として活躍されている方がいた。大人の女性である。私ももちろん大人の女性なのであるが、その度合いなるものが大幅に違う。その方の話を聞いていて、自分の読み書きについて大いに反省した。仕事で読むものはだいたい論文か学術書、リラックスに読むものは実用書か評論やエッセイである。なんというか潤いに欠く。心がパッサパサだなと思うことがある。
しかし句会というものはどうも実際に出歩き、夕食ぐらいまでを共にするものらしいことも分かった。これは、まだ子供がそんなに大きくなく、仕事量が不規則な私には敷居が高い。ということを、久しぶりに会った友人に話した。そのところ、インターネット句会なるものに入っているとのこと。私も紹介を受けて早速お仲間に入れてもらった。繁忙期は全く参加できないこともあるけれども、1年半続いている。本当に、自分が興味があることについて、相談というものはしてみるものである。そのことで失うことはなく、得ることの方が多い。そんなことすら、忙しさの中で忘れがちな暮らしは、なんだか悲しい。
句会運営ルールはシンプルである。基本的にメールを使う。今月のお題(例えば5月なら、夏めくとこども)を含む句を5から10句、毎月20日までに、取りまとめをされているご夫婦にメールする。それをまとめて、誰の句かわからないようにして文書にまとめメンバーに配って下さるので、そこからよいと思うものを5句選び理由も書いてメールを全体に返す。みなさんシニアかつベテランなので私の句は、決して評価は高くないが、とにかく日本語の勉強になる。俳句そのものもそうだけれども。メールしてくる内容の語彙が私と違う。あ、こんな言い回しが、とはっとする。色々な世代の交流が少なくなった弊害の一つに、語彙の矮小化があるのだなあと思う。みんな似たような言葉遣いで似たようなことを話している世界はつまらないなあとつくづく思う。
句会に入って必須なものが、季語が掲載されている歳時記である。春夏秋冬の文庫本で4冊ある。非常に薄いので持ち運べる。逆にこれだけで一句ひねれるのはありがたい。今まで出会えなかった典雅な言葉に出会える。半夏生、なんて言葉、恥ずかしなから初めて知った。忘れていた花の名前や鳥の名前も思い出す。ちょっぴりだけ世界の奥行きが広がる。
面白いのは、俳句には性格が出ることだ。デッサンするように写実が効いた句を読む人、歴史的な時間感覚を入れ込むのがうまい人、とにかく浮かび上がる風景が綺麗な句を読む人。私はどうやらちょっとしたユーモアや不可思議を追い求める傾向があるようだ。その性格を活かして句をひねるとそれなりに評価を受ける。
ちなみに今まででもっとも評価されたのは「マスクして世界半分オフにする」である・・・。