佐藤峰研究室/Mine’s Lab

定常のコミュニティデザイン/ Stationary State Community Design

エッセイ

かわらないもの

投稿日:7月 18, 2020 更新日:

子どもが学校に行っていなかった3月上旬から6月上旬までの、自粛期間の中で、朝のヨガに加えて、天候が許す時には、朝の散歩を日課にしてみた。あまりにパソコンに座っている時間が増えたから、仕事をする以外の時間を増やさないと、というのことが一番大きかったのだけれども、結果として自分の心をフラットに保つためにとても役に立った。自粛期間は一旦終わったけれども、今も引き続き散歩をしている。

コースはいつも決まって一緒で、近くにある川沿いを歩き、川を渡り、競馬学校の練習場の周りにある林の道を一周し、林の中にある神社にお参りして(急ぐ時には一礼して)、家に戻ってくるというもの。と書くとどんな田舎に住んでいるのかと思われると思うけれども、駅まで15分もなく、その駅から日本橋まで40分なのだから、郊外って悪くないなと思う。鶯のさえずりが日々上手になって、長尺になっていくのが耳で分かるなんて、ちょっとした贅沢である。

競馬学校では、競馬の騎手になるために、あるいは厩舎スタッフ(厩務員というそうだ)になるために、高校生以上の歳のティーンが日々練習に励んでいる。朝練が7時45分からなので、なるべくその時間に合わせて散歩をして、馬が厩舎から練習場に移動するために横切るのを見ながら、守衛さんと雑談をする。なんでも、騎手になるために入学しても3年間の間にどうしても背が伸びてしまい体重が増えてしまい(育ち盛りなので自分の努力ではどうしようもないこともあるだろう)、泣く泣く騎手になるのを諦め、でも馬が好きで、再度厩務員を目指す人もいるようだ。週6日練習があり、日曜日しかお休みでないということ。馬は休ませておけないというのが一番の理由らしい。土曜日の練習は半日だけれども、自分の家に戻れる生徒は少なく、家族が逆に会いに来るパターンが多いとのことだった。

もともと馬がいるために外部との人の往来が制限されているので、自粛期間中も変わらず練習をしていた。朝ひときわ早く馬を出しているのは、先生とのこと。http://www.jra.go.jp/school/

私は賭け事はやりたくないし今後もやらないと思うけれども(という表現はとても古めかしいのだろうけれども)、競馬学校は賭け事という、ちょっと生々しいイメージの対極にある。生徒はなんだか、お寺や神社で修行をしている修行僧のようだ。男子高校生の頭の中なんてロクでもないような妄想で満ち満ちているはずだけれども、遊びたい気持ちもあるだろうに、朝の8時前から練習に励んでいる姿は、とても清い。そしてそれを支えるスタッフもひっそりと真面目で実直そうに思える。こちらの勝手な印象にすぎないけれども、清々しいものを朝から見ると、その日一日、自分の気持ちよく過ごせそうに思えるから、すごい。

「コロナ渦」で世間は色々とざわざわしているけれども、毎日毎日、そういうこととは無縁に見える世界に触れられること、それが本当に近所にあること、今まではそんなに感じなかったけれども、とても恵まれたことだなあと思う。

さて、今日も散歩に行こう!

(案外早く動く馬を、写真に収めるのは難しい・・・)

-エッセイ

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