佐藤峰研究室/Mine’s Lab

小確幸のコミュニティデザイン/Community Design for Wellーbeing

エッセイ

私という恋人

投稿日:8月 3, 2020 更新日:

6月に娘たちの学校がようやく再開して一人の時間が増えた。そこで一番変わったことと言えば、電車に長い時間乗らなくて住むようになった分、否応無くというか、自分が何を感じているのかということを考える時間が増えたことだ。その中で、なんとなく将来が不安に思えたり、こんなものだと思ったりする。そして同世代の友達と、よく取り止めもなく話をする。結局みんな、まず、自分を機嫌よく保つことが基本だよね、という感じの結論でとりとめもない会話が終わる。

まだ20代の時に知り合ったロスに暮らす畏友Mも、そんな友達の一人だ。彼女は私よりも5歳ほど年上の魔女っぽい美女だが、一番下の子はまだ7歳なので、その子が成人した時にはほぼ定年退職をする年齢になる。ホスピスなどで、アロマとエネルギーワークによる、体と心が辛い方々のケアをしている。たまに看取りに立ち会ったりするらしい。常に自分を整えているからか若く見えるし不思議な雰囲気がある。このあいだ日本にきたときに、うちに泊まってくれたけれど、待ち合わせの10メートル先くらいから、識別できた。そして、ナチュラルメークではないメークをしているので目立つ。ああ、「女」が歩いてくるなあとハッとした。

最近、彼女と定期的に時差を超えたLINE電話をしている。ロスでは、ロックダウンが決まった途端に銃を買いに走る市民が多かったこと、マスクをしていないことを注意したスーパーのガードマンが銃殺されたこと、近所のスーパーでまだものが十分に売っていないこと、3人いるこどもたちが3月から学校に行かないまま夏休みに入り8月まで基本自宅にいること、アメリカの陽性者の数がどうにも信用できない(コロナだと保険会社が儲かるらしい)、そんな、日本の現状が恵まれて思える話をたくさん教えてくれた。

そんな中で友人Mが心がけているのは、自分が何を感じているのか、人と比べてじゃなくて、何を欲しているのかを小さなことでもいいので、きちんとキャッチしてなるべく形にすることだそうだ。彼女が最近気がついたのは、例えば付き合い始めの恋人に向けるような、その人がどうしたら少しでも心地よくなるのかと、それこそ全神経を使って考えるようなエネルギーを、どうして自分に向けてこなかったのだろうかということ。そこから「自分を恋人だと思おう。自分で自分が機嫌よくいられるように、まずそこにフォーカスしよう。それが心の自立というものだと思うし」と気がついて、3月から過ごしてきたとのこと。

この話を聞いてなんだか深く感動してしまった。私はヨガをずっとやっているので自分の機嫌の良し悪しは、結構体の状態と関わる。だけどよく考えると、そんなに真剣に自分の体と向き合ってこなかった気がする。私という恋人というのは、とってもいいなと思って、ナルシスティックな方向でなく、自分のご機嫌を取っていこうと思う。

-エッセイ

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