佐藤峰研究室/Mine’s Lab

生きるための読書

今年を振り返ると、とにかく動きが少ない、けれどもなんだか疲れる、そうは言っても家で過ごす時間が多くなって充実もしている、なんとも評価できない一年だった。もともと、途上国暮らしが長いので、外に自由に出られないとか、物が自由に買えないとか、外食や飲み会が自由にできない、というのはあまり堪えない。大学教員という職業はライフラインに関わらないこともあり、地味にも地味な一年だった。朝起きて白湯を飲み、ヨガを練習して、天気がよければ近所(競馬学校の周りの林)を散歩して、パソコンの前に座って大体九時から五時で仕事、ほとんどその繰り返しだった。

子どもの習い事や塾、私のヨガがあるから、曜日の感覚はあるのだけど、それでも今日何曜日だったっけ、というような感覚に陥ることもあり、危ない危ないと思いながら過ごした。振り返るとそんな生活に彩りや楽しみを与えてくれたのは、やはり読書だったと思う。市の図書館が一時返済になった際にはちょっと辛かった。多分私と同じような理由で、長女はテレビを観続け、次女はYouTubeを見続けていた、のだと思う。(この辺り、相対主義を躊躇いなく適応できない自分に気が付く)

仕事に全然関係ない本を、寝落ちする前に読むのは最高だ。最近は「春になったら苺を摘みに(梨木香歩:少し心許ない時に読む本。大好きな須賀敦子さんに少し文体が似ていて、しかもご存命というのがありがたい)」、「僕はイエローでホワイトて、ちょっとブルー(ブレイディみかこ:長女ががっこの図書室で借りてきて感動したので買ったら次女が朝の読書に持っていった)」、「停電の夜に(ジュンパ·ラヒリ:とても平易で美しい英語なので原書で)」を読んでいた。全く気がつかなかったのだけれども、この3冊には共通点がある。一つはイギリスが関係していること、二つ目は作者が女性で作品がエッセイ·ノンフィクション·フィクションと形式が違うのにも関わらず、作者のリアリティを色濃く映していること、そして三つ目は、他者理解(しかも一見理解できそうもないほどに思える)への静かな葛藤や喜びや困惑が描かれていること、だった。今まで気がつかなかったのだけど、こういう本が私はやっぱり好きみたいだ。

私自身はそれほど他者に寛容でもないし、わかりあえないなあと思う人とは距離を置くようにしてしまうし、今は日本にいるから民族や宗教の違いに暮らしが影響されるということはほとんどない。けれど、やっぱり多様性に身を置くことや、その中での言葉にできないような思いや、解決できなようなあれこれ、たまに分かり合えたと思える瞬間、のようなもの扱う本を無意識に身の回りに置きたがるようだ。

案外ひょんなどころで、自分の意外な(でもないか)傾向というのが分かって、誰に伝えても仕方がないけれども、ちょっぴり嬉しい年の瀬である。なんだかとても、生きている、という感じ、地味に楽しい感じが湧いてくる。

来年はどんな本に出会えるだろうか。

(娘たちが半日がかりで作っていたケーキ。ボリューミーでした。)

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