2月に大阪に暮らす母方の祖母が、とうとう100歳になった。数えなのか西暦なのかよくわからなかったのだけど、同居する叔父も「正真正銘(西暦でのカウント)」と言っていたので、本当のことらしい。いくら「人生100年時代」と言っても、100歳の人は周りにそうたくさんいるわけではないので、単純にすごいなと思う。昨年骨を折って入院もして、このまま寝たきりにならないか心配だったが、もうギプスも外れて、食欲もあるとのこと。一安心である。
今はコロナで自由に散歩にも行けないけれども、以前は美味しいお肉(切り落としなのでそんなに値が張らない)を買いに、バスに乗って一人で買い物にも行くような、そんな祖母だ。それを生姜と醤油と砂糖でそぼろ煮にしてよく送ってくれた(ひ孫にあたる娘たちの好物である)。弟の結婚式の時にはすでに80代後半だったが大阪から千葉まで駆けつけ、フランス歌曲から一曲披露するというなかなかに洒落た人である。曽祖父が洋画家だったせいなのか、カトリック信者だからなのか、万事につけてなんとなく洋風で、食いしん坊の祖母である。
そんな祖母だが、耳が遠い。電話で話すと声も震えていて、半分天国にいる人の風情である。電話での会話もちぐはぐだか、もう声を聞けるだけでありがたい。何でも、亡くなった祖父らと毎日空想のお話をしているということだ。手紙を書くと返事をくれるけれども、文字もとても震えていて、その震え方に祖母が生きていることをありがたく思う。ずっと前にあった時には、もうすでに「おばあちゃん」を通り越して、性別も人間であることも超越している不思議な形をした存在に見えた。
そんな祖母だが、体はあまり丈夫ということもない。長生きをする人は大抵秘訣なるものがあるというが、心肺もそう強くないし、体も小さめである。不思議に思っていると、サンフランシスコの叔母からいきなりのFace Timeでの電話が来た。こんな状況だから祖母が亡くなるというような時にみんなで見送れないかもしれないけれども大丈夫かというような内容だった。離れている叔母が一番会えない確率が高いので、自分自身に言い聞かせているような感じもした。
叔母も祖母に手紙を書いているが、最近届いた手紙が面白かったらしい。祖母が長生きの理由は曽祖母にあるというのだ。この曽祖母は祖母が幼少期に亡くなった。なのでその分の命を祖母にくれたみたいと書いてあったらしい。その話を聞いて、ツボにハマって泣いてしまった。もう十分に生きたと本人も周りも思っているけれども、もうしばらくこの世にいて欲しいなと、会えないからこそ、毎日思う。
4月の頭に、300歳になる吉高の大桜を見に行った。今年は気候の進みが早く、残念ながらすでに半分葉桜だったけれども、多くの支え木に支えられているその姿はやはりそれだけでありがたいものだった。こういうものが近くにあるのは素敵だ。生命の究極の形はこんなふうに、そこにあるだけでありがたいということなんだろうと、本当のところは私もそういう存在なんだろうという実感を少しだけ持てた午後だった。
今日もなんとなく祖母と大桜のことを思って、少しだけ気を引き締める。仏壇も祭壇もないし、墓参りも滅多にしないけれども、私の神様、という感じがしている。
