先日、大阪での大規模な予防接種の予約が始まったので、早速大阪の叔父に100歳の祖母がいつ受けるのかを電話で聞いてみた。すると、もう100歳だし、副反応も色々怖いので、受けないことにしたという。とてもゆっくりした暮らしをしているし、周りの人たちが受けられるのを待っても、彼女の中では「一緒のこと」だそうだ。時差くらいのものなんだと思う。なんというか、さすがにここまで達観して受け止められないけれども、時の流れをずいぶんと思い切って、「引き」で考えるのって、今一番必要なことの一つだろうなと、ちょっぴり唸る。
100歳の祖母と暮らす叔父さんも、多分もう70歳くらいだ。(叔父は不思議な雰囲気で、なんだか年齢を正確には把握していない。) 祖母が食欲があるのと、近所のスーパーの食品の質が微妙なのと、古い家の色々な修理のための材料を買ったり、古い人たちの色々な治療のための通院にと、最近、電動アシスト自転車を買ったらしい。「あれはすごいで。この前は〇〇まで行ってきたし。」というその場所は、記憶によると10キロ以上は普通にある。免許のない叔父の行動範囲は、史上最高に増えているようだ。声色が若干どやっている。
その後つらつらと叔父と話していく。叔父は(もちろん祖母も)スマホを使っていないどころか、携帯電話も持っていない。パソコンもあるにはあるけれども、あまり触っていないと思う。そうすると主な情報源は、自分の見聞、新聞と広告、ニュース、ラジオになるけれども、そのくらいで、こんな時には特にちょうどいいのかもしれない。
会話の終わりで、どういう流れかわからないけれども、コロナでとっても地味な暮らしをするようになって、「知り合いの知り合い」くらいの身近なところで感染者が出ている状況で、昨日のような今日が送れることが、こんなにありがたいことってないよねという話になった。体が強くなく何回も入院している叔父の口から出ると刺さる。もちろん、今の(かなり場当たり的な)政府や自治体の対応をスルーするのではなくて、自分の暮らしを毎日開いて閉じる、その連続の中で、何を毎日眠る前に思うかということだ。
まあ、イライラすることもたくさんあるのだけど、日常生活は突き詰めたらかなり奥行きも懐も深い、謎も多いものなんだろうなと改めて思う。
家から見える夕焼けはいつ見ても偉大