先月、次女が中学校の書道の授業で自由課題を書いて持って帰ってきた。お題は好きな漢字で、一文字でも組み合わせでも自由とのこと。彼女が選んだ漢字は「零」だった。新しい場所で新しい学校で、ほとんど一つの小学校からみんながそのまま上がってくるような中学校で、しかもコロナ禍で転校生として入学するというのは本当にそういう気持ちだったからとのことだ。
チョイスが渋すぎて、ちょっと心配したのだけれども、二者面談で担任の先生から話を聞いて安心した。クラスでも積極的だし、秋学期には学級委員に立候補したらしい。落選したけれど、10名ほどが彼女に投票したらしい。全然知らなかった。
びっくりして家に戻って本人に聞いてみると、「だってそれがみんなを知るための一番手っ取り早い方法でしょ」とのこと。そんな発想は私はしない。でもそういえば、春学期にクラスの集合写真を見ながら、一人一人の名前とどういう子かということを、私に説明してくれたのを思い出す。知らない間に、案外と積極的な性格になっているのか、そういう努力をしているのか、少し驚く。私の何倍かまともな風に育っているらしい。
コロナ禍でさらに季節感が薄れて、新年もなんだか盛り上がらず、年賀状も書けず、ギリギリ適当なおせちとお雑煮で済ませ初詣もしないままだったので、なんだか気分が若干うだうだしていたので、しばらくの間、冷蔵庫に遅れてきた書初めみたいに貼っておくことにした。(次女は大変に嫌がったが。)
そういえばヨガでも大事なのは、ちゃんとゼロに戻ることだと再確認する。朝、なるべく30分くらいヨガをするのだけど、それは「太陽礼拝のポーズ」で始まって、「死者(屍)のポーズ」で終わる。サンスクリットではシャバアーサナというが、シャバとは屍、アーサナはポーズを意味する。なかなかのネーミングだ。大体のヨガはそうだけれど、とにかく最後に大の字になってリセットするのが大事だ。私はアシュタンガヨガという割と激しめのヨガをやっているのだけど、そこでもこのポーズを長めにするようにと言われる。大変面倒なのだけれども、確かにきちんとこのポーズを最後にすると、一回眠って起きたようなリセット感がある。
毎日毎日、零に戻るって大事だなと思う。あるいは、1日のうちで何度も零に戻って、まっさらな状態になって、そこから物事を楽しんで丁寧にすることで、日常はどんどん深まっていくんだろう。それって難しいよなと思いつつ、だから飽きないんだろうなとも思う。