春学期最後の7月最終週、ふと、ベストをつくしたら、あるいは尽くし過ぎずに、手放すということの大切さについて、複数のメッセージをもらうよう日々だった。
水曜日。この日は授業最終日だったが、最後の授業が、大学院で多くの留学生が取る「国際支援政策論」という授業だった。今回は30名ほどの様々な国からの留学生と日本人ちょっぴりの構成。今回はレポートで提出してもらう最終課題について、まずは選出された学生によるプレゼンテーションをしてもらった。5名の大学院生(ミャンマー、スーダン、パレスチナ、ザンビア、ニジェール)が発表をしてくれた。私自身は、15回の授業の内容を振り返るような内容の課題の設計にしていた。どれも事例はとても面白かったのだけれども、3名の発表は、伝わっていなかったかなあというものだった。授業自体は何度も行っており、かなり伝えられているという時と今回のように少しそうでもない時がある。受講生は今回は本当に楽しそうだった。「良い授業」の設計はそれなりにできるけれども、それで全てがコントロールできないのだなと痛感する。
木曜日。最後のゼミを終了し、高二の長女を成田空港に送って行く。サンフランシスコの叔父叔母のところにお世話になりつつ、1ヶ月のプチ留学をするために渡米する。コロナにならないか、この感染状況の中、アメリカに陰性証明なしに入れるのかなど色々と気をもむ。語学学校の手続きやら、フライトの変更やら(台湾経由にしていたら全てキャンセルになり焦る)ポケットWi-Fiを手配したりと、手続きも多い。長女は私の仕事の関係で赤ちゃんの時から飛行機に乗っているが、一人で旅行するのは初めて、しかも海外である。緊張で大汗をかいている。すべての手続きを済ませ、マックで飲み物を買って座って飲み(成田空港は出発ロビーで座れるところが本当に少ない)、早めに登場口に送り帰路に着く。その後LINEを複数しても全く帰ってこず中で何があったのかと心配になるが、2時間後くらいに「飛行機乗れたよ」とメッセージ。割とあっさりと育ててきたつもりだったけど、案外そうじゃなかったのか、子離れの速度を加速しよう、手放していこうと渋滞の車中で思う。
金曜日。この日は途上国の留学生の博士論文の公聴会(最終審査会)がお昼までオンライン開催される。結果は合格だったが、主査・主指導としては最後まで分析能力が伸びていかなかったことがとても悔やまれる。「批判的に複眼的に重層的に物事を見る」という習慣は博士課程から身につけてもらうのは難しく、その人がどんな教育を受けてきたか、どんな人生を歩んできたか、どんな人々に囲まれてきたかに大きく影響される。同じように指導しているつもりでも、響き方、伸びしろが全然ちがう。難しいのは「このように分析すれば良い」と言ってしまうとそれがすでに批判的でなくなってしまうということ。「ここから先は本人次第」の範囲の広さは予想以上だなあと痛感する。審査後横になったら、よっぽど疲れていたようで、夕方まで眠ってしまう。
そして土曜日。無心になりたくて、前からペンディングになっていた、リビングのフローリングの汚れを落としワックスをはがし、ワックスがけをする。4時間以上かかる。疲労困憊で思わず横になると、飼い猫と目が合う。猫くらい手放して行けたら、もっと色々な達成ができるのかもしれない。
ある意味、人生の師匠かもしれない。