10月20日、アメリカ人の従姉妹が久々に我が家にやってきたその夜、野菜たっぷりのお鍋を娘たちと一緒に食べ、早めに眠ったその夜に、祖母が大阪の病院で亡くなった。その日までリハビリをしていて具合も悪くなかった、むしろ具合は最近よかったとのこと。春先に少しだけ会った時、もう気持ちは半分この世にはなくて、生きているのがずいぶん辛そうだったし大往生なので、祖母のためにはよかったのだろうけど、本当に大好きだったので、次の日従姉妹と少し泣いてから、お茶を頂きに着物で出かけた。
葬儀は次の週に決まる。カソリック教会での葬儀なので、喪主の叔父から喪服は着てくるなと指示を受ける。迷った挙句、グレーの着物に白い帯で朝早く大阪に向かう。久々に乗る新幹線もその車窓も、当たり前だけれども、あまりに普段通りで、忙しい気持ちの人たちが多くて、その中で移り行く車窓を見ていたら、かえって淡々とした気持ちになる。
東京に一足先についていた従姉妹と新大阪駅で待ち合わせて、教会へ。幼い頃、祖母と一緒にその教会に行ってミサに参加し、その後に天ぷら(さつま揚げのことをそう呼ぶ)を買ったり、和菓子を買ったりするのが大好きだったことを思い出す。ミサでの音楽が異世界に連れて行ってくれる感じがしたものだ。大人になって歩くと駅から境界までは実にあっという間なことに驚く。
会場で棺に入れられている祖母は何故かパジャマを着ている。叔父に尋ねると「最近一番気に入っていたからや。」とのこと。うーん、それはそうだけど、と微妙な気持ちになっていると葬儀が始まる。平日の式だったこともあり、参列者もほぼご老人、司祭も割とお年、サポートをする侍者の方もお年寄りで、ややヨタヨタしているので、転ばないか心配になる。司祭がとてもせっかちな人らしく、あまり感情の籠らないメッセージをするので、かえって気持ちが楽になってくる。
式が終わり棺を車に運ぶ。列の先頭には着物姿の私が十字架を、その後にはタトゥーがたくさん入ったモデルのような従姉妹が遺影を持ち、その後に後ろ髪をちょっと結んだ叔父という割と個性的な面々で棺を運ぶ。運ぶといってもみんなお年寄りなので、車輪ががついた台に乗せて動かしていく。葬儀も高齢化社会対応になっていることに感心しなんだかあまり悲しくなくなる。
車で焼き場に向かう。司祭さんもついてきて早口でお祈りをすると、お悔やみの言葉もなくさっさと帰ってしまう。少しびっくりするが、信者も高齢化しているからよく葬儀をやっているだろうし、そんなものなのかもしれない。祖母が火葬されている間、近くのコメダでランチをして時間を潰す。火葬場の周りは本当に何もなく、待っている時間はとても長く感じた。
2時間後火葬場に戻り、スタッフの女性の指示でお骨を骨壷に収める。その女性は中年と言っていい年齢だろうに何故か髪を金髪に染めており、厳かな口調とのギャップがおかしく笑いを必死に堪える。祖母の骨はかなりしっかり残っていて驚きつつ、その女性の指示にしたがってお骨を小さく割りながらなるべく色々な部位の骨を骨壷に入れる。祖母はこういうの絶対に嫌いだと思うけど、死んでしまっては文句も言えない。その後、一瞬祖母宅によって、ピアノに白い布をかけた祭壇(?)にお骨と遺影を飾り、再び新幹線に乗る。京都と名古屋の間で虹が出ていた。祖母からのプレゼントだねと従姉妹と話す。
祖父が亡くなった時は悲しすぎ式で号泣して熱を出してしまい焼き場にも行けなかった。でも祖母の時は、祖母自身が早く天国に行って祖父や祖父の母(姑なのにとても気があって、亡くなった時「お化けていいので出てきて欲しい」といっていたらしい)などに会いたいと行っていたこともあり、よかったね、全うしたねという気持ちが強いなあと思う。
ちなみに祖母の絶筆は健啖家らしく、「コート持ってきて、寒くなってきたでしょ。お寿司食べたい。シュークリーム、クリームパン」というかなり震えた筆跡での叔父へのメッセージになった。食への執着は生きる原動力なんだと改めて思う。やっぱり亡くなる時には、その人が全然意図しなくても、一番その人らしくなるのだろうか。本当に祖母らしい最期だった。
(ずいぶん前から準備していたらしい祖母の好きな聖句。
なかなかに難しい宿題をもらった気持ち。)