大学教員をやっていて常々嫌だなと思っていたのは、うちの大学や学部だけかもしれないが、顔写真とメールアドレスが選択肢なしに公開されてしまうことだ。学部や院の広報につながるから仕方ないとして、妙なダイレクトメッセージまで届くのは、むむむーと思う。
だけれども最近、メアドが公開されていていいことがあった。会いたいなあ、どうしていつのかなあと思いつつ、数十年音信が途絶えていた人たちが向こうから連絡してくれた。私はSNSもやっていないし(睡眠時間の確保が重要)、メールが普及し始めたのは大人になってしばらく経ってからだったし、そう筆まめでもないし。ということで、割と知り合いが少ない状態になっていた。もともと多くもないけれど。
春先に連絡をくれたのは30年くらい前にインドのカルカッタにワークキャンプに行った時のメンバーの一人Aくん。ネットサーフィン(死語)していたらヒットしたらしい。横浜が職場とのことだ。そこに同じ国際協力の業界にいるので学会でバッタリあった、やはりキャンプに一緒に行ったMくんも誘い、上野でご飯を食べる。「相変わらず人の話を聞いていないね」と二人に言われる。その頃からそうなら、恐ろしいことだと思う(が筋金入りだろうし諦める)。上野公園の夜桜が一部咲きの頃だ。
次に連絡をくれたのが、カナダ人のFさん。私がパキスタンで働いていた際(2005-2007)に大地震があり、その時は妊婦だったのだけど、緊急援助チームを手伝うことになった。そこには各組織から人が出ていて、そこで知り合った。今は在日本のカナダ大使館にいる、そういえば日本人だったと思って検索したらメアドがあったと連絡をくれた。本当に忙しい人だからなかなか会えなかったのだけど、ちょうど横浜に用事があった模様、私も出勤日だったのでようやく会えた。崎陽軒のカフェでアフタヌーンティーをご一緒する。相変わらず物腰が柔らかく、上品で、丁寧だ。気品というものがいつでも備わっている。緊急援助の時かだそうだからすごい。来年からインドネシアに行くという。またいつ会えるかわからないけれども、ああいう人がいる大使館は最強だろう。あやかりたいと思いつつ無理はよそうと思い直す。
その次に連絡をくれたのが、25年ほど前にウェールズに修士を取りに行った時に、私と同じコースに1年遅れてきたYちゃん。横浜の郊外の方に住んでいて、私が前から「研究者になる」とばっかり行っていたので検索したら同じ市内と分かり、びっくりして連絡をくれた。彼女も恐ろしく忙しく平日はちっとも会えなかったので、土曜日に仕事(学園祭の見回りという妙な業務)の後に横浜駅近くの喫茶店で会う。教育のことをしていて、語学が得意だったのをそのまま活かした仕事をしていた。お互いに二人の子どもの母親になっている。そして留学していた時は二人ともぽっちゃりだったが(なんせ1年で終始を取ったのでストレスがすごく、結構食べていた)すっかり細身のおばさんだ。でも「相変わらずだね」などと言っているから恐ろしい。このつながりでやっぱり同じ家に2ヶ月だけ一緒だった日本人のRくんともつながり、昨日、3人で上野でご飯を食べた。Rくんも全く変わらず、四半世紀くらいぶりにあったのに、「久しぶりー」とかならない。3人でアメ横を少しフラフラして微妙に途上国っぽい雰囲気を楽しんだ。
懐かしい人に次々に発見され会っている私を、次女は死期が近いのかと若干心配しているらしい。娘よ、まだまだ、大丈夫だよ。
内容とは関係ないけれども、地元で評判のグジャラト料理のベジタリアンカレーがあまりに美味しかったので写真掲載。