10月は誕生月なので、いつもより少し贅沢なことを、2つしてみた。
一つ目は高校からの親友のKとのホテルでのアフタヌーンティー。彼女が作っている専門誌の翻訳をお手伝いする御礼に2人で数ヶ月に一度楽しんでいるものだ。彼女の誕生日も10月なので今回はいつもよりいいランクのホテルに行けることになった。あまり贅沢をしない家で育ったからか、シンプルな暮らしを好むからか、1人で自腹では絶対に行かない。2人だし、御礼としてなので楽しい。
ミドルエイジの淑女の1日のカロリーと糖分を遥かに超過した満腹な状態で、せめてもの悪あがきとして外堀をずっと歩く。赤坂離宮がちらっと見えたり、銀杏を回避したりしつつ、長い友だち同士の間合いで、会話として成り立っているようないないような、そんな話をしつつ歩く。
その道中に友だちが、若い頃より今の方が毎年楽しくなるね、なんだか分からないけど、と言う。わたしも、ほんとにそうだね、客観的に証明しろと言われたら無理だけどほんとだね、と返す。日暮れも早くもの寂しい時間に、そこだけ灯りが一瞬だけともったような光景が、空の上から見えるかも、と想像したら色々あっても、なんだか幸せだなと感じる。
二つ目は、海外から来た友だちとの旅行。Gさんはベネズエラからフランスに移住し、パリに暮らしていて、わたしより10歳年上の女性だ。日本出張のついでに休暇をとって、熊野古道の中辺路を歩きたいが、外国人女性1人だとキツいと言うので、一緒に行くことにした。途中わたしが財布を落としたり(バス停にあったので回収!)、雨に降られてずぶ濡れで歩いたり、予定をガラッと変えたりと、小さな事あれこれはあったが、それはそれで楽しい旅をした。友だちと出張以外で観光をする事自体、本当に数年ぶりだった。
ベネズエラの政情もあり、若い時に単身渡仏、博士号を取り電力会社で調査研究をするGさんは、昨年日本に出向で来ていて、わたしがスペイン語を話す事もあり友だちになった。2月にはわたしの娘2人と4人で台湾旅行もした。
その時も今回も痛感したのは、彼女が今を楽しむエネルギーの圧倒的な大きさだ。外国人だからも大きいが、わたしが見過ごすようなささやかなもの、お地蔵さまやら石段やら竹林やらに、おおいに感心し写真を撮っていた。聞くと旅のブログをアプリで記録して帰国後に印刷、アルバムにして見返すとのこと。
宿に着いてご飯を食べて温泉に入った後も、マイペースで寝落ちしているし、重い荷物をなるべく早く宿に置くように、わたしにスケジュール変更出来るか調べてと頼む。バスでも一つ席が空いていたら迷わず座る、食べたいものを食べたい時に食べる。特急電車では、きちんと海側の席を予約し、朝食の後もコーヒー飲みたいとさっさと喫茶店に向かう。そう書くと少しわがままに思うけど、今何をしたいと言うのを、その場ではっきり言うのは、実はそう簡単では無い。相手に気を使うのも大事だけど、それは相手が求めるものとも限らないし、そこにエネルギーを使わない分、自分のことに使えるのだなぁと痛感した。彼女に倣い、さっそく海側の席に座ってみたが、わたしには日差しがキツい…。快適は人それぞれなんだなぁ。
日本的な何となく幸せというふわっとした気持ちと、西欧的な意図的に人生を楽しむ力、ハイブリッドで生きられたらきっと最強なんだろう。
それにしても観光客のほとんどがインバウンドでしかも若者が多く、迎える側はほとんどがお年寄りと言う、とても不思議な旅でもあった・・・。

(↑色々なことを考える人がいるものだなあ・・・)